海って大きな穴なんじゃないか。 そう思ったからじゃあないんだけど、幾分か若い頃に、突然遠くに行きたくなった。進むのは北だ。なんとなくそう思った。当時住んでいた日本海に面した地方都市の中の家からおもむろに自転車を取り出して、大きな幹線道路をただただ漕いで行った。若い人が乗るようなかっこいいロードバイクなんて持っていなくって、カゴ付きのママチャリ。お母さんが17歳の私にバイクなんて危ないからって代わりに買い与えてくれたもの。 あーあ、17歳なんて立派に体格は大人なのに。 ひらすらに漕ぎ続けたら海があった。 商業用の大きなコンテナが並んだ無骨な港と青い海。太陽が高く登っているにも関わらず、油の浮いた水面と光の届かない底が青暗くてブラックホールみたいだった。 身近なブラックホールを目の前にしばらくいると一編のSF小説を思い出した。星新一のショートショート「おーい出てこーい」。突然地面に現れた深さのわからない穴。石を投げてみても深さがわからず、どんなものでも吸い込み、人はその穴をいいようにゴミや隠蔽物をどんどん捨てていく。ある日工事現場の作業員の頭上から石が、1つ降ってくる、という物語。 今私がこのブラックホールのような海に物理で物を捨てたって恩着せがましい周囲からの圧を嘆いたって大嫌いなあの人の悪口をつぶやいたって、どんな形であれ目の前の海は飲み込んでくれる。そしていつか忘れたころにそのままの形で私自身に還元されるんだろう、この軽率な死にたみも母の過保護な愛もきっとそのままの形で私に還元されるんだ。いつか、いつか来るかわからないそのときに、過去を後悔できるような心の広さがあるといいな
アートって遠い国の言葉のように感じる。知らない言葉は、何も知らない私たちにはただの文字の羅列、ただの暗号だ。でもその言葉には整頓された法則があって、使われている。 アートも(って一括りにするのはいかがなものか)きっとそうだろう、一見無意味に見える抽象画も、私たちには知らない作者独自の世界の法則があって、それに則って作られた表現なんだ。 私たちはたぶんひっくり返ってもその法則を完璧には理解できずにあーでもないこーでもないと的外れな推論を繰り広げるんだろう。
「世界を全て壊して好きな人をひとり守れるのと、好きな人を喪って世界を守るのだったらどっちを選ぶ?」 たとえば、たとえばだよ、と念入りに前置きして彼は私に尋ねた。なんだかよくあるSFアニメの終局のような2択。物語であれば好きな人を助け出して何らかの主人公補正でついでに世界も救えちゃうところなんだけど、彼のルールはその都合良さを許してはくれなかった。 ふーむと唸って見ながらも、残念ながらこのゲームには破綻がある、僕たちは初めから世界に組み込まれた1つのシステムに過ぎず、その上下関係は覆ることはない。世界が人体だとしたら、僕と僕の好きな人なんて毛細血管のコピペのような微々たる細胞の1つと1つくらいにしかすぎないんだ。僕たちは僕たち顕微鏡で拡大しすぎた。僕とその周りの人生しか見えないほどに。自分の人生をプラスにもマイナスにも過大評価しすぎた。僕たちも僕の好きな人を喪えば、世界が生き延びるなら世界を救いたい。好きな人の身体を自ら踏み抜こう。そしたらほらゲームクリア。おめでと! そしてその後は泣いて泣いて死にながら生き延びてそのうち寿命で社会に排泄されるんだ。